55歳の女性が母の人生と重ねて自分探しをしての今の気持ち

55歳の女性が母の人生と重ねて自分探しをしての今の気持ち

家族で話し合いを続けたことです。

私自身つねに自己肯定感が低くどうすればよいのかわからないまま、その時に起こる様々に降りかかってくることから逃げずにただそのことをしのぐという受け止め方でした。

私は、長女で地元は男の子が生まれると喜ばれるような地域でした。

私が生まれてた時、父は考えていた名前が男の子の名前で、自分が尊敬する作家の名前でした。

私は母の実家で産婆さんを呼んで生まれた子でした。

おなかに大きなあざがありますが、そのあざが男のおちんちんに見えたようです。

それで当初男の子が生まれたと電話が来ました。

大喜びでした。

しかし、しばらくして女の子だとわかると父は私の名前を付けようとはしなかったのです。

私は同居していた明治生まれの祖母があこがれていたお姉さんの名前を付けてくれました。

今考えるとその祖母が、大家族で貧乏で6人兄弟の真ん中でろくに学校も行けず、弟をおんぶして、おしんのような生活だったのではないかと思うのです。

再婚したことも言えないほどの時代だったのです。

祖母から再婚した話は一切聞かされず、父からそれとなく聞きました。

私は3世代同居で育ちました。

どこかひねくれていたようです。

それは、祖母の育ちの悪さなのか、そのためにすべてを母のせいにするのを見て育ちました。

母も同居していた祖母の愚痴を毎日聞かされ、祖母は年金や父の弟が有名企業に勤め、自分の母と同居してくれたというお礼に祖母に毎月十万円送っていたようです。

しかし、それはすべて貯金し、お小遣いをねだる父には毎回渡していましたが、母は、自分が履くパンツまで布を張り付けて糸で縫って履いているのを見た時に、父は辛抱をしていると思ったようです。

男性に甘すぎるところは、生涯父も何もお金も残さず、入院費用を弟に借りて払ったことがありました。

私自身、あれだけ母に共働きをした時は、夫のお金で生活しなさいと言われたり、母が入院して母から、私が入院していない頃は外食なんてしなかったのにと言われました。

母が、愚痴も言わず、自分のものも一切買わず、我慢をして働いて働いて、子供の運動会さえ働いていた鉄工所の副社長が認めず、苛め抜かれて、母は、その人の愚痴も言わず、56歳で亡くなりました。

人を信じて、苛め抜かれた結果、私は、逆に今もその鉄工所の社長と副社長をよく思えません。

母は、糖尿病になり、入院を何回もしました。

入院している母がその鉄工所の経理をしていたとはいえ、入院している母を呼び出して、監査が入ったためにその処理をさせたのです。

それだけではありません。

その社長と副社長には4人の子供がいて、その末っ子は私と同じ年でした。

自分の子供の運動会にはおそらく行っていたことでしょう。

そして、明治生まれの祖母は。

五月の節句にはちまきやかからんだんごができると母に持たせてその鉄工所に持っていきました。

おそらく20年以上働いていたのでその年数は持って行ったはずです。

私も何回も小学校の時から母の鉄工所に遊びに行きました。

もういまはありません。

母は、先代の社長に雇われました。

その頃から、そこの鉄工所の事務は長続きしなかったそうです。

母が我慢して、家には祖母がいるのでいられないし、家電はできないし、愚痴は、鉄工所近くの公衆電話から1時間以上一人暮らしの田舎の祖母にかけていたそうです。

今でいえば、パワハラでしょう。

私は、母ほど現世で苦労した人を知りません。

母は、兄弟仲も悪くありません。

下に3人の弟がいます。

その叔父たちは今も健在です。

母は、最期の入院先の時に私は24歳か25歳でした。

ここまで書いてきて、心が痛みます。

私の結婚式も糖尿病が進み、目が見えなくなっていました。

私は、父と交代で、泊まり込み看病しました。

本当にやさしい母だったので、毎日のようにお見舞いの方が来ました。

すぐ下の弟に必ず自分の実家のお墓参りを頼むため、千円渡しました。

またその下の弟のところにも大好きな祖母と二人で旅行しました。

宝塚も見られて楽しかったようです。

出来れば、入院中に鉄工所の方にお見舞いに来てほしかったことと母が20年以上働いて、退職金を貰えると最後まで言っていました。

母にとって私たち子どもたちよりも人生をささげた鉄工所の生活です。

せめて、退職金は無くても、私たちの実家は絶対にご存じのはずだから、私たち子どもを探してくださり、お墓参りでも来てくだされば、私の気持ちが収まるのです。

母は、利用されるだけ利用されたとしか思えないのが残念です。

私は、母が亡くなり、今、子育てに悩んでいます。

生きていれば81歳か82歳の母にもっと現世で楽しんでほしかったとつくづく思います。

私自身の人生に母の人生は欠かせないものです。

親孝行したいときには親はなしです。